帰国子女でも英語ができない人の特徴|【英語できない組】から学ぶ(後編)

帰国子女

こんにちは、のまさんです。

英語圏で生活していた帰国子女だからと言って必ず英語ができるわけではありません。

私はアメリカに10年以上暮らしていたことがあり、英語を身に付けずに日本に帰国した友人たちを数多く見てきました。

そして、同窓会で会った友人達は皆口を揃えてあの時しっかり英語と向き合っておけば。。と後悔を語るのです。

そんな帰国子女でも「英語できない組」であった友人たちの特徴を本日もご紹介いたします。

※本記事は後編の記事となっています。是非前編を読んでから戻ってきてくださいね

この記事を読むと分かること

✔️帰国子女なのに英語ができない人の共通点(前編)

✔️「英語できない組」にならないためのヒント

帰国子女でも英語ができない人の共通していた特徴

帰国子女でも英語を身につけられなかった友人達に共通していた特徴はどんなものだったのでしょうか。

一つ目は「ESLクラスに長く所属しすぎた」という共通の特徴を紹介いたしました。

今回の後編では残りの特徴を紹介いたします。

海外での生活期間が短かった

これに関しては正直、不可抗力な部分があるので仕方ないです。

父親もしくは母親の転勤で海外で生活することになる子供達は自分で期間を決めるわけにはいきません。

あともう少しだけ英語を勉強したいから残りたい。と本人が考えても、親の勤める企業はそれを許してくれません。

任期が終了すれば半ば強制的に帰国することになるのです。

海外生活が短くても英語できる組になった帰国子女もいる

ただし海外生活期間が短かったというのは要因の一つに過ぎません。

たしかに「英語できない組」の友人たちはアメリカ生活期間が平均3年と少々短い期間でした。

そして、なおかつ友人達は半分以上の期間をESLクラスで時間を費やしてしまったので、本格的に英語を学べた期間は約1年ほどだけでした。

ようやく英語を覚え始め、友達ができ始めた頃に帰国してしまったのです。

逆に言えば、もう一年あれば英語ができる帰国子女として日本に帰れた可能性が大いにあったのです。

友人達は実際に「ESLクラスをあと1年早く抜けていればよかった」と語っていました。

そして3年という短いアメリカ滞在期間でも英語をしっかり話せるように帰国した友人もいます。

やはり違いは、私と同じくESLクラスを早期に卒業し、早く英語と多く触れる環境に身を移したことでした。

滞在期間が短いのは仕方ない事ですが、限られた時間の中でもしっかりと英語に触れ合えば、確実に英語をできるようになって帰国することができるということです。

特に期間が短いことが分かっているならば、海外生活の1日1日を大事に生活するようにしましょう。

ネイティブな友人が少ない

日本人は国民性としておおよそ半分の人が内向的らしいです。

特に異国の地で、知らない人に英語で自分から話しかけにいくことをする人が非常に少ないです。

「英語できない組」の現地校での生活

「英語できない組」の友人達はやはりアメリカ人の友達が極端に少なかったと話していました。

スクールバスに乗るとすぐにイヤホンを耳につけ、CDプレイヤーを再生し一人の世界に没頭。

教室について、少しだけ仲の良い友達に挨拶。でもその友達は別の友達に話に行ってしまい、また一人に。

授業後は一人で次の授業に移動。ランチタイムはグループの中にはいるけど自分から会話することなく話を聞くだけ。

部活もしてないので、チャイムがなってすぐ帰りのスクールバスに乗り込むもまた一人の時間に没頭。

帰宅してからは宿題を終わらせて家族と日本語で会話。

友人が少ない=アウトプットの機会が少ない

いかがでしょうか。

英語を聞いている時間は確かに日本に住む人と比べて機会は多いかもしれませんが、明らかに英語を話している時間が短いですよね。

友人が少ないと基本的にアウトプットする場がありません。

英語はコミュニケーションツールです。TOIECで高得点を取ろうが、英語検定1級だろうが、実用性がない英語力を学ぶ意味はありません。(私はそう思っています。)

日本人ばかりと遊ぶ

「英語できない組」は必ずといっていいほど、日本人同士で週末に集まって一緒に遊んでいました。

もちろん日本人同士なので英語は使いません。

現地校でも英語を話さず、休みの日も日本人の友達と遊ぶ。

これでは日本での生活となんら変わりません。私からすると、ちょっとだけ良い英語の授業を無料で受けているくらいの感覚です。

私は日本人の友達と遊ぶのは多くて2週間に1日程度で、他はアメリカ人の友人と遊んでいました。

ちなみに当時のアメリカではスマブラ、ポケモンカード、遊戯王カードなどが大流行していたので、外人の友達とは基本的にこのような遊びをしていました。

「英語できない組」もゲームや遊戯王カードなどで遊んでいましたが、大きく彼らと違ったのは、私は英語を話しながらこれらの遊びを外人としていたことです。

英語を話す友人と自然に遊びを通じて英語を話していた私はメキメキと英語が上達していきました。

そしてそれはコミュニケーションを取るための実用的な英語です。

英語が日に日に上達をした私は日本の学校に通う感覚で現地校に通えるようになりました。

スクールバスでは他の生徒とふざけあい、授業前後には宿題で分からなかったところを教え合い、ランチタイムには流行りのゲームの話で盛り上がり、放課後には近くの友人の家にコントローラーを持っていきゲーム三昧。

たまに家族ぐるみで夕食にBBQパーティ。お泊まり会もしました。

全部英語です。もちろん何を言っているか分からないこともあったと思います。

ただ、それでも良かったのです。分からなければ友人は理解してくれようと色々な表現で説明をしてくれました。

そして彼らは今でも私の親友であり、一番心が近い英語の先生でもあるのです。つまり私には近くに質の高い英語の教師が何人もいたのです。

いち早く自分にとって最良の英語教師を作れ

私のように友人を天然の英語教師にするかしないかは、アナタもしくはアナタの子供次第です。

「英語できない組」の友人達は、自分の最良の英語教師を作ることに失敗しました。

「あの時勇気を出して現地校の生徒に声をかけておけば…」

「なんで英語ができないことを恥ずかしかったのだろう。みんなそんなこと気にしてないのに。」

友人達の後悔の念は溢れ出ます。

みなさんもはずかしがらずに声をかけてみてください。

英語ができずに笑ってくる人はなかなかいません。

むしろ助けてくれる生徒が多かったです。

そして、なんの見返りも求めず助けてくれた友人は将来あなたにとって、かけがえのない宝になるはずです。

ちなみに私は帰国後にだいぶ英語を忘れてしまったのですが、その時の親友達と繋がっていたこともあり、わりと簡単に英語力を取り戻すことができました。関連記事は以下よりお読みください。

まとめ|いつ帰国になるか分からないので、後悔しないようにしろ

いかがだったでしょうか?

海外転勤をする親の中には例えば「5年の任期で」などと、あらかじめ期間を決められた上で海外に家族を連れて行く方もいるでしょう。

5年もあれば嫌でも英語は覚えるだろうと思うかもしれません。

しかし、会社の人事はいつ何が起こるかわかりません。急に「やっぱり日本のあの部署に行け。」ということもあります。

限られた海外生活、活かすも殺すもアナタ次第です。

「英語できない組」は当時海外滞在時に勇気を出して一歩踏み出さなかったことを長年後悔しています。

もし今、アナタが英語を自然に学べる環境にいるのであれば、彼らと同じ轍を踏まないように勇気を出して一歩踏み出してください。

そうすれば、英語を身につけた帰国子女として帰国することができるはずです。

本日は最後まで読んでいただきありがとうございました。

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